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zoom RSS 「力まずに射る」人生

<<   作成日時 : 2012/03/16 14:17   >>

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弓道教本第一巻のP99 弓の抵抗力「弓の力は反動力であって、直動力ではない。したがって弓を引くにつれて抵抗力が増大するものである。」と記載されている。
この「反動力」という応力は非常に理解し難いが、流体をある運動量で放出すには圧力が必要である。例えば,消防士が放水ホースから運動量(水圧)をもった水を放水するときには,後方へ大きな反動力を受ける。ピストルやバズーカ砲を撃つ時だってかなりの反動力が身体にかかる。

教本で云う「反動力」とは、弓が矢に伝える反発力では無く、弓から体に伝わる力(圧力)のことだと考えられる。したがって、矢尺を取れば取るほど体に返ってくる圧力は増加する。
「直動力」とは、バーベルやダンベルのような物体の重力を、体に直接負荷をかける力と推測すると、弓の力は直動力ではないことが理解できる。

「力を使わずに引け」と指導されることがあるが、弓は力を使わずに射ることはできない。しかし、多くの人は必要以上の余計な力を使いすぎて失敗の原因を作っている。力を使わずに弓を引くと云うことは「自分が使用する弓力に釣り合うために必要とする相応の力を使うことであって、それ以上でもそれ以下でもない」と云うことで、弓から体に伝わってくる圧力に相応する筋力を使うことである。

弓道は、左右の力が常に均等に釣り合っていることが求められる。打起した時点の弓力はゼロである。そこから手の力を使って引こうとした場合は、身体が開くことによって生じる力よりかも過剰な力が使われていることになる。その手先の余分な力が「力み」となって、いわゆる力射となる。20kの弓も15kの弓も打起しまでは弓力はゼロkgである。「打起し」での弓の重力を支えているものの手の力を必要としないで、体(背中)の力を使って肘で打起すのである。肘が上がれば手がついてきて弓が打起されるのである。

打起しで先行した余分な手の力は、無駄に使われる力となるのみならず、これが「力み」となって滑らかな引分けの妨げとなり、不自然な離れを生み出す原因となる。打起しでの弓手「手の内」は、決して弓を握ってはならない。打起しの途中で誰かに弓を下に引っぱられたら、スルッと「手の内」から抜け落ちるほどに「手の内」を形造っているのみである。
引分けるに従って生じる弓の圧力相応の力を使うことによって、弓力と釣り合う力のみであるがために滑らかな引き分けとなり、離れに於いても左右のバランスが乱れるような不具合は極めて少なくなる。

引分けでの弓から体に伝わる圧力には、左右に二つの力点がある。その力点とは、弓の握り部と弦の中仕掛け部であり、弓手と妻手の「両手の内」では手先の力で弓を押し引きするのでは無く、手は弓の反動力(圧力)を受け取っている(支えている)だけで、支点であり作用点である。弓の力を押し引きする体側の力点は、両肩根を介して上腕の下筋(上腕三頭筋)から両手の内に力の流れとして作用する大元の体幹(丹田)の力が、体側の力点である。

骨格筋の筋肉は関節をまたいで骨と骨につながっている。腕を曲げるには、肘関節を折り曲げる動作を行なう。この動作は、主動筋である上腕二頭筋(屈筋)が収縮し、拮抗筋である上腕三頭筋(伸筋)は緩むことで、肘関節が曲がる。しかし、伸筋が緩むのだが収縮していた伸筋の力がいっきにゼロになるわけではなく、収縮していた伸筋が徐々に緩むことで滑らかな動作となっている。従って、動作は拮抗筋の作用によってスピードのコントロールがなされている。

打起しから大三に移行するときの弓手の動作では、肘関節と手首関節を伸ばす動作である。
関節を伸ばす動作は、伸筋を収縮させて行くことであるが、弓構えから打起しにおいて腕の屈筋はリラックスさせて、出来る限り屈筋は使わない(収縮させない)状態であることで、大三に移行する動作がより滑らかな動きとなる。いわゆる弓構えからの円相の張りを維持している状態での動作ある。屈筋が作用している状態では、「力んでいる」力の使い方となって、動作が滑らかな動きとならずによろしくない。

動作は、筋肉の一方を収縮させて動かしているようだが、実際には他方の筋肉も収縮されていて、屈筋と伸筋の両者が同時に収縮することから、同時収縮が起きているといえる。同時収縮とは、曲げる筋である「屈筋」と、伸ばす筋である「伸筋」が同時に収縮している状態のことで、両方の筋が縮もうとすることで力を発揮しているため、骨は両方向から引っ張られ、動かない状態である。言い換えると、「筋肉は収縮して力を発揮しているのに、関節は動かない」のである。つまり、同時収縮の働きは、関節を動かすことではなく、関節を固めて固定した状態のことである。(弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり)

「関節を固める」同時収縮の働きを弓道で活用したのが、まさに両手の「手の内」である。弓構えで「手の内」を整えるときに指の関節を同時収縮の働きで固める。指の筋肉を同時収縮させて各指関節を固めた状態に整えることで、「手の内」が弓構えから会まで崩れないこととなる。特に、妻手の「手の内」は薬指と小指の各指関節を曲げ、親指の関節は伸ばしているから、手指の関節がシッカリと固まった状態となる。弓手の「手の内」では、親指が伸びて三指(中指・薬指・小指)の指関節を曲げていることによって、手指の伸筋と屈筋が同時収縮した状態で、手指の関節がシッカリと固定された「手の内ができる。

弓構えで整えた両「手の内」を固めたままにして、弓を握る力を使わずに右肘が先導して、息を吸いつつ打起し、腕の角度が45度まで弓を掬いあげて一旦息を吐く。大三に移行する動作は、息を吸いつつ背中の肩甲骨から両肩を開く力を使って大三へとスタートする。弓手の「手の内」は、虎口が軸受けとなって弓が回転を始めるにしたがって弓の圧力(反動力)が徐々に増してきて、それを虎口で受け取る。妻手の「手の内」は、固めたままにして弦に引かれていると、弦にユガケが引っぱられて弦枕に下弦の圧力(反動力)を感じることができる。それを右肘で支えて一旦息を吐く。打起しでは妻手肘が先導し、大三へ移行からの引分けは弓手肘が先導するのが良い。

大三で息を吐きながらうなじを伸ばし、縦線を意識してから丹田(下腹)に息を入れ始める。と同時に、手で押すでもなく、手で引くでもなく、手を下げるでもなく、両肩を後方に逃がさないように真下に肩を沈める気持ちで、両肩を開きながら肩根で弓力を受け取って、弓力の圧力(反動力)に対抗するように丹田の圧力も高めながら「会」に向かう。
その弦道は、矢筋が常に肩線と並行に移動し、矢先が高くならないように水流れの常態を保つ。矢が目通りの高さでは特に妻手の手を下げないよう意識しながら妻手肘を、斜め後ろ方向に下げながら引き取り、体を弓の中に割込む気持ちで、縦線を伸ばしつつ両肩線を矢筋に接近させて弓の中に身体が割り込んで行く、と同時に、的付け(ねらい)・頬付け(口割)、胸に弦が接触し(胸弦)の三点が定まり、矢束一杯の会に至る。会での呼吸は、丹田に吸ってきた息を腹八分目ほどに溜めた後は、吸うでもなく吐くでもなく下腹に息を溜めている状態で詰合いに入る。

引分けで斜め後ろ下方向に向かって開いてきた力を、会に至る間際(矢が目通りの高さ)からは、左右に押し開く体幹の力を徐々に水平方向に向かって作用させて行く。会ではその水平方向への力を持続させて(新たな力を加えるまでもまく、力を休むでもなく)詰合いに至る。詰合いは「五部の詰」と言って、両手・両肩・胸の中筋の5ヶ所の事であるが、この五箇所を詰めるのでは無く「張合う」ようにすることである。力の方向を水平で左右均等に張合う(詰合う)ことであるが、決して手先の力のみを使って張合ってはならない。

詰合いは、身体の縦線と横線の十文字だけではなく、弓圧に対抗する力線の十文字を堅固にすることであるが、身体を力ませることでは無い。詰合いでは、脚の両膝の裏側の膕(ひかがみ)を伸ばし張合って下半身を安定(固定)させ、上半身はリラックスさせながらも項(うなじ)を真上に伸ばしながら横線への力に張りを作り、その力線を河口の水が流れるイメージ(川の河口付近の流れは見えないが、実際はゆるやかに流れている)で張り合い続けることが求められ、それが会を深くすることにつながる。

弓道の教歌に「引く矢束(やづか)、引かぬ矢束に、ただ矢束、放つ放れに放さるるかな」という教えがある。
「引く矢束」とは、手先の技(わざ)だけで押し引きして放つことである。
「引かぬ矢束」とは、心の安定と気力の充実によって機が熟し、自満の末に発することである。
「ただ矢束」とは、矢束いっぱいに引くが、ただ保持しているだけの状態にあることである。
上記のうち「引かぬ矢束」を修練して行かなければならない教えであるが、弓力と体力の調和と、動作と呼吸との供応と、心気と射技が調和して、それらが一つとなって「引かぬ矢束」が現実するものとなるのである。

離れには、「伸合い」が不可欠の条件であるが、意識的な「伸合い」では無く、弓の圧力に抵抗する力が丹田からの力によって天地左右に張り合い続け、その気力を充実させることで「伸合い」が生まれる。理想の離れとは、決して作為的に意識的に離すことではない。だが、まったく無意識で離れが生まれるものでもない。心気の働きが伴うものである。心気の働きは丹田から発せられるものであって手先で行なうものでないことは当然で、丹田の充実が発を生むのである。体力よりも強い弓を使っていると、力んだ力が手先や身体に生じ、呼吸も乱れ、必然的に心気の働き(気力の充実)を阻害し、結果的に離さざるを得なくなり、離れが濁ってよろしくない。

離れたあとの残身は、残身の形を意識して作るものでは無いと言われている。しかしそれは射技を極めた者に言えることである。射技を極めようと修練の途上にある者は、理想とする残身を意識的に求めて、会ではまっつぐに(真っ直ぐに)気力を張り続けることが大切であって、それが理想の残身(残心)につながるのである。

理想の残身とは、会で詰合っていた横線の五箇所(両手・両肩・胸の中筋)における各関節が緩むこと無く、胸郭を含めた横線の各関節がまっつぐ(直線的に真っ直ぐ)に開き、「大の字」の形になる。意識的に胸郭を開き大の字になるのでは無く、結果的に大の字になるように修練することが大切である。理想の離れと残身(残心)は、それを観ている第三者にあたかも大河の川の流れを見ているかのような空間におちいって、感動を呼び起こすのである。
下腹に溜めていた息を吐く間(ま)は、残心を保持して、次に息を吸いつつ弓倒しを行ない、一旦息を短く吐いてから吸う息で物見を返す。

理想の離れと残身(残心)=理想の射行は、理想であって単なる空論と考えるのでは無く、理想を追い求めて修練することで、射の内容を広くするようになり、射行は審固にして緩まずの信条で、弓道の修練に取り組んでいる。弓道を職業としての生活は成り立たないが、弓道を趣味として自然体でいると、自己の弓道生活がより豊かな人生へと導かれている心境である。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
今回のお話は今迄言われてきたことのまとめのようで、有難うございます。短い1射の中にこれだけのことが含まれ、何も考えず引くとそのどれかがその時々に微妙に変わり、同じ射にならないことが明確
です。つまり、一瞬、一瞬の状況を確認することの重要性を示されています。今、自分で不思議と思っていることについて何か教えていただければと思います。
1.大三で息を吐きながら丹田(下腹)に息を入れ始める。弓力の圧力(反動力)に対抗するように丹田の圧 力も高めながら「会」に向かう、とあります。
この息について、肺に息を入れる、下腹に息を入れるのと随分心持ちの落ち着き方が変わるのはなぜなのでしょうか?下腹に息を入れるとは胃を膨らますことなのでしょうか?会に向かうときこの息が丹田(下腹)にきちんと入った時は離れが安定するような気がします。

2.離れの瞬間は教本で云う「反動力」が突然なくなる。同時に矢の「反動力」という応力があるのかもしれませんが、弓返りすることは弓から弓手に何の力もかからないのでしょうか?

怠漫仏
2012/03/17 22:03
怠漫仏さん、コメントをありがとうございます。
稽古で弓射を何射しても1本たりとも同じ射は出て来ませんね。ですが、少しでも正射に近づく工夫と、その射の再現性を求めて修練することで、あきらめない努力を続けています。
1.2.の質問事項については、e-mailでご返事しましたので、ご確認ください。
養心
2012/03/18 17:39
大変、参考になっています。もっと早く見たかった。
・・・(ならい)・頬付け(口割)→(ならい)は(ねらい)
ですか、維持(強くするでもまく、を修正願います
mitumei
2013/06/27 11:30
mitumeiさん、誤字の訂正と文面一部修正いたしました。
 ご指摘をいただき感謝いたしております。
養心
2013/06/27 20:12

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